奥の細道4 忍者?[宮城県岩沼市-仙台市]
投稿者: Benkei 掲載日: 2008-6-1 (1495 回閲覧)
隠密?忍者? 芭蕉がそう思われている根拠は、どうも仙台藩内に入ってからの行動が可笑しい。
一つ目が、岩沼の二木の松「武隈の松」と、名取の藤中将実方の墓所「笠島」の訪問順序。仙台藩内に入り、北上していくと岩沼の方が南で、岩沼⇒笠島⇒仙台のコースが自然なのですが、何故か笠島⇒岩沼のコースを取り、しかも一句『笠島はいづこ五月のぬかり道』を残して笠島訪問は諦めている。<尚、これは途中で同じ笠島の地名があり道を間違った説も有ります。>

宮城県名取市の笠島。実方の墓のあるところ。
岩沼市の二木の松。

江戸旅立ちのとき、弟子の挙白が「武隈の松見せ申せ遅桜」(遅桜よ、わが師が奥州に着いたら是非武隈の松をお見せしなさい)という句を贈って貰った。これに応えて
桜より松は二木を三月越し(みつきごし)
を詠んでいます
近くには日本三大稲荷、竹駒神社があります


その二つ目が、青葉城(仙台城)の正門・大手門から堂々と入っている。=日光東照宮の修復状況を視察後とて何かを伝える為城内に入ったのではないか?という疑問。
曾良日記に寄ると大手門のところから家祖伊達朝宗以来の伊達氏の守護神、亀岡八幡宮に通じる参道があり、ここを通って参拝したとなっている。現在も同じルートで八幡宮にたどることができる。と、すると単に観光目的とも取れる。

その三つ目が地図を頼りに御城下を歩いているのは(当時は藩内の地図は機密書類?)可笑しい?
これは、仙台を案内した絵師加右衛門が松島や塩釜とかの名所を描いた絵図を渡した。それを頼りに仙台の中心から多賀城に向かう途中、昔の名所「十符の菅」(奥の細道命名の地のところ)を訪ねるくだりに出てくる。
◆詳しくは、千本桜の奥の細道をご参照ください。
一つ目が、岩沼の二木の松「武隈の松」と、名取の藤中将実方の墓所「笠島」の訪問順序。仙台藩内に入り、北上していくと岩沼の方が南で、岩沼⇒笠島⇒仙台のコースが自然なのですが、何故か笠島⇒岩沼のコースを取り、しかも一句『笠島はいづこ五月のぬかり道』を残して笠島訪問は諦めている。<尚、これは途中で同じ笠島の地名があり道を間違った説も有ります。>

宮城県名取市の笠島。実方の墓のあるところ。
岩沼市の二木の松。

江戸旅立ちのとき、弟子の挙白が「武隈の松見せ申せ遅桜」(遅桜よ、わが師が奥州に着いたら是非武隈の松をお見せしなさい)という句を贈って貰った。これに応えて
桜より松は二木を三月越し(みつきごし)
を詠んでいます
近くには日本三大稲荷、竹駒神社があります


その二つ目が、青葉城(仙台城)の正門・大手門から堂々と入っている。=日光東照宮の修復状況を視察後とて何かを伝える為城内に入ったのではないか?という疑問。
曾良日記に寄ると大手門のところから家祖伊達朝宗以来の伊達氏の守護神、亀岡八幡宮に通じる参道があり、ここを通って参拝したとなっている。現在も同じルートで八幡宮にたどることができる。と、すると単に観光目的とも取れる。

その三つ目が地図を頼りに御城下を歩いているのは(当時は藩内の地図は機密書類?)可笑しい?
これは、仙台を案内した絵師加右衛門が松島や塩釜とかの名所を描いた絵図を渡した。それを頼りに仙台の中心から多賀城に向かう途中、昔の名所「十符の菅」(奥の細道命名の地のところ)を訪ねるくだりに出てくる。
◆詳しくは、千本桜の奥の細道をご参照ください。
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