南円堂・三室戸寺・上醍醐寺(京都府・奈良県)
投稿者: Daiku-gen 掲載日: 2008-6-7 (1078 回閲覧)
■1年12回で満願になる、西国三十三ヵ所巡礼の旅という触れ込みの、お手軽バス旅行、第4回目で、9番札所 興福寺南円堂、10番札所 明星山三室戸寺と11番札所 深雪山上醍醐寺です。
■西国一の難所、上醍醐寺があり、10年以上も前のことですが、途中で、ダウンし、ゼイゼイ言いながら、登った経験がありますので、かなり、緊張して出かけました。
■場所は、こちらです。
■詳しいレポートは、こちらをご覧ください。

○ここが、前回、ダウンした、9丁付近の水飲み場です。ここで、一休みをし、いざ、歩き始めますと、途端に、息切れが激しくなり、10年前と、全く、同じ症状です。頂上は、19丁ですので、まだ、半分足らずしか、登っていませんが、急な階段が続き、5分歩くと、5分休むという状態です。

○最後の力を振り絞って、広場の石段を登りますと、「准胝堂」と呼ばれる、本堂に、到着です。何とか、ブービーで済みましたが、皆さん、まだ、お参りの最中でしたので、早速、お札を納め、例によって、「平穏無事」を、お願いしました。

○三室戸寺です。光仁天皇が、行幸の際、霊感を感じ、藤原犬養に命じて、周辺を探させたところ、宇治川の支流、志津川上流の岩淵で、黄金の仏像を発見したそうです。

○興福寺は、藤原氏の氏寺で、もとは、飛鳥にあり、和銅3年(710年)に、この地に移ってきたそうです。そして、この南円堂は、弘仁4年(813年)、藤原冬嗣が、父、内麻呂の供養と、一族の繁栄を願い建立したといわれています。
☆この記事は、リメイク版です。
■西国一の難所、上醍醐寺があり、10年以上も前のことですが、途中で、ダウンし、ゼイゼイ言いながら、登った経験がありますので、かなり、緊張して出かけました。
■場所は、こちらです。
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○ここが、前回、ダウンした、9丁付近の水飲み場です。ここで、一休みをし、いざ、歩き始めますと、途端に、息切れが激しくなり、10年前と、全く、同じ症状です。頂上は、19丁ですので、まだ、半分足らずしか、登っていませんが、急な階段が続き、5分歩くと、5分休むという状態です。

○最後の力を振り絞って、広場の石段を登りますと、「准胝堂」と呼ばれる、本堂に、到着です。何とか、ブービーで済みましたが、皆さん、まだ、お参りの最中でしたので、早速、お札を納め、例によって、「平穏無事」を、お願いしました。

○三室戸寺です。光仁天皇が、行幸の際、霊感を感じ、藤原犬養に命じて、周辺を探させたところ、宇治川の支流、志津川上流の岩淵で、黄金の仏像を発見したそうです。

○興福寺は、藤原氏の氏寺で、もとは、飛鳥にあり、和銅3年(710年)に、この地に移ってきたそうです。そして、この南円堂は、弘仁4年(813年)、藤原冬嗣が、父、内麻呂の供養と、一族の繁栄を願い建立したといわれています。
☆この記事は、リメイク版です。
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初夏の吉野山(奈良県)
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