秋田市民俗芸能伝承館と千秋公園(秋田県)
投稿者: Daiku-gen 掲載日: 2008-10-6 (1451 回閲覧)
■民俗芸能伝承館は、竿燈をはじめとする郷土の民俗行事や芸能の保存伝承のため、赤れんが郷土館の分館として開館し、“ねぶり流し館”の愛称で親しまれています。
■千秋公園は、慶長7年(1602)から明治2年(1869)の版籍奉還まで、12代267年間続いた秋田藩20万石佐竹氏の居城、久保田城跡です。 久保田城は、常陸(現在の茨城県)から国替えとなった初代藩主義宣公が、慶長8年に自然の台地を利用して築城した、石垣や天守閣を持たない平山城です。
■民俗芸能伝承館の場所は、こちらです。
■千秋公園の場所は、こちらです。
■秋田市民俗芸能伝承館については、民俗芸能伝承館のHPをご覧ください。


○1階展示ホールでは秋田の祭り、竿燈・土崎神明社曳き山行事の曳き山車・梵天などを常設展示しています。

○隣接する旧金子家住宅です。金子家は、江戸時代後期に質屋・古着商を開き、明治初期に呉服・太物卸商として操業しました。この建物では、昭和57年まで商売が営まれていました。

○久保田城表門です。久保田城本丸の正門で、一ノ門とも呼ばれ、本丸の玄関口として、警備上からも重要な地点とされていました。

○御物頭御番所です。長坂門(二ノ門)の開閉と城下の警備、消防等を担当した物頭(足軽の組頭)の詰所で、旧久保田城内に、唯一残る藩政時代の建物です。

○近代秋田を築いた秋田藩最後の第12代藩主、佐竹義堯公の銅像です。戊辰戦争では、新政府方に属して戦い、明治維新の激動期を生きました。
■千秋公園は、慶長7年(1602)から明治2年(1869)の版籍奉還まで、12代267年間続いた秋田藩20万石佐竹氏の居城、久保田城跡です。 久保田城は、常陸(現在の茨城県)から国替えとなった初代藩主義宣公が、慶長8年に自然の台地を利用して築城した、石垣や天守閣を持たない平山城です。
■民俗芸能伝承館の場所は、こちらです。
■千秋公園の場所は、こちらです。
■秋田市民俗芸能伝承館については、民俗芸能伝承館のHPをご覧ください。


○1階展示ホールでは秋田の祭り、竿燈・土崎神明社曳き山行事の曳き山車・梵天などを常設展示しています。

○隣接する旧金子家住宅です。金子家は、江戸時代後期に質屋・古着商を開き、明治初期に呉服・太物卸商として操業しました。この建物では、昭和57年まで商売が営まれていました。

○久保田城表門です。久保田城本丸の正門で、一ノ門とも呼ばれ、本丸の玄関口として、警備上からも重要な地点とされていました。

○御物頭御番所です。長坂門(二ノ門)の開閉と城下の警備、消防等を担当した物頭(足軽の組頭)の詰所で、旧久保田城内に、唯一残る藩政時代の建物です。

○近代秋田を築いた秋田藩最後の第12代藩主、佐竹義堯公の銅像です。戊辰戦争では、新政府方に属して戦い、明治維新の激動期を生きました。
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秋田市立赤れんが郷土館(秋田県)
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