城下町長府(山口県)
投稿者: Daiku-gen 掲載日: 2008-5-7 (1413 回閲覧)
■梅雨真っ盛りの6月、パック旅行「壱岐と九十九島・呼子」で、九州へやって来ました。初日、午後は、なぜか、福岡県から山口県へ戻って、長府散歩です。
■バスガイドさんの案内で、 功山寺→長府毛利邸→古江小路→乃木神社→忌宮神社 を散策しました。
■場所は、こちらです。
☆サムネイル画像は、クリックすると拡大します。

○功山寺:鎌倉時代の創建で、唐様建築の仏殿は、わが国最古の禅寺様式を残し、国宝に指定されています。高杉晋作が、奇兵隊からも賛同されないまま、伊藤俊輔(博文)の率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊ら、わずか80人程度で挙兵し、明治維新への転機となる、旗揚げをしたところであり、毛利家代々の墓があります。



功山寺三門 境内 高杉晋作像

○長府毛利邸:明治36年、長府毛利家14代元敏(もととし)によって建てられた邸宅で、明治天皇の御在所としても使われました。

○古江小路(ふるえしょうじ):練塀が続く古江小路は、もっとも、城下町らしい雰囲気を残しています。


乃木神社 忌宮神社
☆このページは、検索サイトのキャッシュを利用して、リメイクしたものです。
■バスガイドさんの案内で、 功山寺→長府毛利邸→古江小路→乃木神社→忌宮神社 を散策しました。
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○功山寺:鎌倉時代の創建で、唐様建築の仏殿は、わが国最古の禅寺様式を残し、国宝に指定されています。高杉晋作が、奇兵隊からも賛同されないまま、伊藤俊輔(博文)の率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊ら、わずか80人程度で挙兵し、明治維新への転機となる、旗揚げをしたところであり、毛利家代々の墓があります。



功山寺三門 境内 高杉晋作像

○長府毛利邸:明治36年、長府毛利家14代元敏(もととし)によって建てられた邸宅で、明治天皇の御在所としても使われました。

○古江小路(ふるえしょうじ):練塀が続く古江小路は、もっとも、城下町らしい雰囲気を残しています。


乃木神社 忌宮神社
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